古い蔵の奥から、あるいは解体される家の床下から、忘れ去られた「開かずの金庫」が見つかった。そんなニュースは、いつの時代も私たちの心を強く惹きつけ、好奇心を掻き立てます。なぜ私たちは、単なる鉄の箱に、これほどまでのロマンと興味を感じるのでしょうか。その魅力の根源は、金庫が内包する「謎」と「物語」にあります。金庫とは、持ち主が「最も大切にしたいもの」を、時の流れや他者の目から守るために作られた、究極のパーソナルな空間です。その扉を破壊してでも開けたいという衝動は、単なる金銭的な価値への期待だけではありません。私たちは、その固く閉ざされた扉の向こうに、前の持ち主が生きた時代の空気や、その人の人生観、あるいは誰にも語られることのなかった秘密といった、失われた「物語」の断片が眠っていることを、本能的に感じ取っているのです。それは、まるで考古学者が古代遺跡の封印を解くような、あるいはタイムカプセルを開ける時のような、過去との対話への期待感に似ています。また、金庫の破壊という行為そのものにも、ある種の魅力が潜んでいます。人間の知恵の限りを尽くして作られた、堅牢無比な防御壁。それを、現代の技術や人間の知恵で打ち破るというプロセスは、困難なパズルに挑むような、知的な興奮を伴います。破壊の末に扉が開く瞬間は、単に中身が見えるというだけでなく、難攻不落の要塞を攻略したという、原始的な達成感とカタルシスをもたらしてくれるのです。もちろん、実際に金庫を開けてみれば、中身は空だったり、価値のない書類の束だったりすることの方が、圧倒的に多いのかもしれません。しかし、たとえそうであったとしても、私たちは決して落胆しません。なぜなら、本当に価値があったのは、金庫の中にあったモノそのものではなく、扉が開かれるまでの間に、私たちが家族や友人と共に「一体何が入っているのだろう」と想像を膨らませ、語り合った、その豊かな時間そのものだからです。開かずの金庫は、私たちに、忘れかけていた冒険心と、物語を夢想する喜びを思い出させてくれる、魔法の箱なのかもしれません。
なぜ我々は開かずの金庫に惹かれるのか