祖父が亡くなり、遺品を整理していた時、私たちは蔵の奥で、埃をかぶった巨大なダイヤル式の金庫を発見した。高さは一メートルほどもあり、その重厚な鉄の扉は、何十年もの間、固く閉ざされたままだった。生前の祖父は、その金庫について一言も語らなかった。家族の誰も、鍵のありかも、ダイヤルの番号も知らなかった。中には何が入っているのだろう。土地の権利書か、あるいは戦時中の思い出の品か。私たちの好奇心と期待は膨らむばかりだったが、その扉を開ける術はなかった。数ヶ月後、私たちは意を決して、金庫の専門業者に来てもらうことにした。訪れたのは、いかにも熟練の職人といった風貌の男性だった。彼は金庫を丁寧に調べ、聴診器のような道具でダイヤルを探った後、静かに首を振った。「内部の機構が錆で固着しているようです。残念ながら、非破壊で開けるのは難しい。破壊するしかありませんが、よろしいですか」。その言葉に、私たちは一瞬ためらった。祖父が大切にしていたであろう金庫を、壊してしまうことに、一抹の罪悪感を覚えたからだ。しかし、このままでは永遠に中身を知ることはできない。私たちは、意を決して「お願いします」と頭を下げた。作業は、想像していたよりもずっと静かで、精密だった。職人さんは、特殊なドリルを使い、扉の隅に、まるで外科手術のように小さな穴を開けていく。金属が削れる甲高い音が、蔵の中に響き渡った。一時間ほど経っただろうか。彼はドリルを止め、ファイバースコープで内部を覗き込むと、細い工具を差し込み、何かを操作した。そして、重々しいハンドルに手をかけ、ゆっくりと力を込めた。ギギギ、という軋む音と共に、分厚い扉が、何十年ぶりかにその口を開いた。金庫の中から現れたのは、現金や宝石ではなかった。そこには、祖母の若い頃の写真と、古びた万年筆、そして、私たち孫一人一人に宛てて書かれた、短い手紙が、桐の箱に大切に収められていた。破壊の代償として支払った費用は安くはなかったが、私たちが得たものは、お金には換えられない、祖父の最後の愛情という宝物だった。